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23 October

ウクライナ情勢と「自分の目を疑うこと」

絵の教え子で、神奈川県の美術館で学芸員をされている方が、先日の私の個展に来てくださった時のことです。ひとしきり絵の話をした後、ウクライナ情勢についての話題を振ってきました。

私がロシアの美術家の研究をしており、訪露経験もあるので、話を聞きたかったとのこと。

現在の日本では、西側諸国の一員としてウクライナを支援する米国の側からの報道が圧倒的に多く、ロシア側からの情報はほとんど無視されているように感じられるため、「ロシア=悪」「ウクライナ=正義」という形が出来上がっているわけですが、それについて疑問に思い、「ロシア側からの情報も知りたいので教えて欲しい」「その上で柴田先生は(ウクライナ情勢を)どう考えているか教えてください」とのことでした。

私もあらためて考えたのですが、特に、このような紛争絡みの情報というのは、ひとつの出来事に対して、一方から発信された情報だけで判断するのは難しいです。ですので、両方それぞれの立場から発信された情報を、出来るだけ多角的に見比べる必要がある、ということは確かです。

ですので、このような質問をされた時点で、この方は鋭いなあ、と感心しました。

とはいえ、私も日本に住んでいるわけですし、ロシアには近年行っておりませんので、得られる情報には限りがあるのですが、知っていることをお話した上で私見を伝えました。

その際「先生はどのように情報を選別し、どのように客観的に情勢を判断しているのですか?」と聞かれました。

これもまた、とても良い質問だと思ったのですが、非常に難しいことでもあるなあ、と思いました。

「まず、重要なのは、それぞれ当事国や、その周辺地域の、文化を含めた『歴史』を知ることが大切だと思います」と答えました。

真理を探究し、本質を洞察する方法を知るには哲学も必要だと思うのですが、「哲学の知識」があっても、「哲学的な思考」が出来るとは限りません。

私の場合、そのような思考を、美術を通して学ぶことが出来ました。あらためて思ったのは、私にとって、絵を描き続けてきたことはとても大きかったということです。

絵を勉強すれば、必ず本質を見抜く目を養えるわけではないと思います。しかし、観察表現において最も重要なことが「本質を見抜くこと」であり、デッサンを繰り返すことはその訓練である、とされています。

その第一歩は「自分の目を疑うこと」ではないかな、と思いました。

15:20:00 | tshibata | |