Archive for July 2022
30 July
『百万本のバラ』
少し前の話になりますが、6月1日はうしお画廊の創立記念日ということで、6周年のお祝いにお伺いしました。オーナーの牛尾さんはお酒全般がお好きですが、ウイスキーはバーボンがお好きだとおっしゃっていたので、私からはコーヴァルのシングルバレル・バーボンをプレゼントしました。続々と駆けつける関係者から送られるプレゼントには必ずと言って良いほどお酒が入っており、ビールにワインに日本酒と、様々な種類のアルコールが集まって壮観だったのですが、その中にジョージアのワインがありました。
ジョージアと言えば「ニコ・ピロスマニ」、ピロスマニと言えば『百万本のバラ』ということで話も弾みました。そこで、今日は『百万本のバラ』の話をしたいと思います。
日本では加藤登紀子さんの歌で知られており、おそらくほとんどの方が『百万本のバラ(Миллион роз)』といえばその曲を思い浮かべるのではないでしょうか。しかしこの曲、元は1982年、私が15歳の頃の旧ソ連での大ヒット曲です。
ジョージアの画家ニコ・ピロスマニがフランスの女優マルガリータに贈ったという「百万本のバラ」のエピソードのこの曲ですが、ラトビア出身の作曲家、ライモンド・パウルスが作った別の曲に、ロシアの詩人、アンドレイ・ヴォズネセンスキーが詩をつけ、ロシアのポップスの女王、アーラ・プガチョワ(Алла Пугачёва)が歌って世界的に有名になりました。当時中学3年生だった私は、この曲がヒットチャートを駆け上っていくのをモスクワ放送(外国向けラジオ放送)で聴いていました。
ちなみに、この当時のモスクワ放送日本語課の人気アナウンサー・西野肇さんが、この曲の入ったアルバムの日本盤発売の立役者だったそうです。興味のある方はこの本『冒険のモスクワ放送: ソ連“鉄のカーテン”内側の青春秘話』を読んでください。
この『百万本のバラ』ですが、様々な民族の芸術家が関わった作品であり、多くの民族と国家の集合体だったソ連ならではの作品だったのではないか、とも言われています。やはり様々な価値観や文化が交わることで、良いものが生まれるのではないかと思います。
さて、余談ですが、最近の研究者の間ではこのエピソードはヴォズネセンスキーの創作ではないかと言われているそうです。
確かに、貧しい画家・ピロスマニが小さな家と絵を売って、百万本のバラを買えるのか、そしてどうやって女優の宿泊先の窓の下に運ぶのか、そもそも仕入れ先は一度に百万本も集められるのかなど、考えてみると、とても難しそうではあるのですが…。でも千本くらいなら可能なのではないかと勝手に想像しております。
さらに、それどころか、バラを贈られたとされる女優・マルガリータは実在しない、という説さえあるそうです。
これについては、ピロスマニの代表作である肖像画『女優マルガリータ』もあるわけですし、私はさすがにその説は信じたくないと思っております。
余談ですが、アーラ・プガチョワの音楽は、中高生の頃、輸入盤のLPレコードを買い集めたものと、2002年に訪露した際に購入したCDを今でも大切に持っています。『百万本のバラ』はパウルス作曲ですが、彼女は元々シンガーソングライターで、自作の曲も沢山あり、私は『全ての力を費やしても(Все силы даже прилагая)』が好きです。
12 July
文化ボイコットについて思うこと
先日、病院帰りにお茶の水の「ディスクユニオン」で、ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィル演奏の2枚組ライヴCDを購入しました。ショスタコーヴィチの5番、プロコフィエフのロメオとジュリエット、チャイコフスキーの5番が収録曲です。私は若い頃からムラヴィンスキーが好きで、既にこれらの曲のCDはいくつか持っているのですが、録音された日が違うので、また買ってしまいました。
結果、期待通りの良い演奏で、かつ音質も良かったので、このところ車移動の際は毎回聴いています。
さて、ロシアとウクライナが戦争状態になった2月下旬以降、日本では様々なロシア文化のボイコットがありました。中でも日本のオーケストラが、チャイコフスキーの作品を演奏プログラムから外すという出来事があったらしいのですが、それについてどのように思いますか?と、ある方からのご質問がありました。これは、私の制作や研究とロシア文化との関係性から、尋ねられたのだと思います。
正直、チャイコフスキーをやめたところで戦争は終わらないのに、なぜそういうことをするのか、私には理解に苦しむところがありますが、察するに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということなのでしょう。
かつてソ連ではナチス・ドイツの時代でも、政治と文化を混同することはなく、ドイツ音楽であるバッハ、ベートーヴェン、加えてヒトラーのお気に入りの作曲家だったワーグナーの演奏を取りやめたりすることはなかったそうです。
しかし、我が国では、戦時中、ジャズを始め英米音楽は「敵性音楽」として演奏も聴くことも禁じられました。英語そのものも「敵性言語」として禁じられました。
つまり、我が国には歴史的に文化ボイコットの前例があり、そういう考えが今日まで根付いているということがわかります。
以下が私が答えた内容です。
------------
チャイコフスキーの音楽を聴いていると、その美しさに心が震えます。私は芸術に携わる者として、このような素晴らしい作品を作ったチャイコフスキーに対して畏敬の念を抱きます。
このような気持ちは「今回の戦争に対してどう思うか」とは、全く別のものだと思います。
もし「チャイコフスキーは(今回の戦争で)憎むべきロシアの作曲家だから、今年2月下旬以降は彼の音楽を聴くことで怒りを覚えるようになった」という人がいるとしたら(勿論そう考えること自体は自由なのですが)、それはその人の思想の問題であって、音楽そのものの問題ではない、ということです。
また、チャイコフスキーの作品と、今日のロシアの軍事行動には、そもそも何の関係もありませんから、彼の曲を演奏したり聴いたりすることで、ロシアの軍事行動を肯定することにはなりません。
私は、むしろ、こんな時だからこそ、このような素晴らしい作品に触れることで、戦争をしない方向に向かってほしいものだと思います。それこそが芸術の役割なのだと思います。
文化や芸術は、価値観の違う人たちを結びつける魔法のような存在です。チャイコフスキーをはじめ、ロシアの文化や芸術をボイコットしたがる人たちは、この芸術の魔法の力を恐れているのかもしれません。
むしろそのような行為をすることで、戦争がずっと続いて欲しいと願っている人たちに力を貸してしまっているように思えてなりません。
------------