Archive for May 2008

21 May

最近のマイブーム1

子供の頃から好きだった、横山光輝さんの漫画を、最近また
読みあさっています。

『バビル2世』、『その名は101』、『マーズ』等のSFアクション物から
入りましたが、『魔法使いサリー』、『コメットさん』等も昨年買いました。

今年に入ってからは、たまたまコンビニで見つけた『殷周伝説』にはまり、
中国歴史物にシフトしている今日この頃です。

『項羽と劉邦』、『史記』と来て、現在はかつて高校時代に読んでいた
『三国志』を読んでおります。

これらを読み、自分の周りの人間社会を見てみると、なかなか興味深く、
考えさせられるものがあります。

優秀な人間が凡庸な人々から妬まれ、叩かれたり、自分の力を過信する
リーダーが、優秀な部下を遠ざけ、都合よい事しか言わない部下を
重用して身を滅ぼしたり…。

人を活かすのも人、駄目にするのも人。

世の中に完璧な人などいないけど、信念を持って、より良く生きる事を
信条としている人は、お互い惹かれあい、自分の利益だけを優先する者は、
権力のあるところに集まり、お互い利用しあうのですね。

より良い人生を全うするためにも、信念を持って生きたいものです。

「出世には恵まれず、例え不幸に見舞われようと、妥協しないで真っ直ぐ
生きよう(by エフトゥシェンコ)」と思います。
03:10:56 | tshibata | |

15 May

もっと新しく

個展を毎年やっていると、色々な人に色々な事を言われます。

比較的最近ですが、「表現が古いよね。もっと新しい事をやったら?」
と言われました。

私の作品の表現様式は、伝統的で古いのだそうです。

仮にそうだとして、それが悪いとは思わないのですが、その方によれば
「やりつくされた表現にこだわっているのは、時代に合わないから良くない」
のだそうです。
「アーティストたるもの、新しい表現を追い求めるのが正しい姿勢だ」
と言われました。

では、どんな絵が「新しい表現」なのか、聞いてみました。
すると、「絵画という表現媒体そのものが古い」のだそうで、
「絵画の概念を壊していかなくてはならない」と力説されました。

だったら、どんな表現媒体が新しいのか、聞いてみました。
すると、レディメイドを見いだしたデュシャン、
図や地の概念を破壊したオールオーヴァー絵画のポロック、
絵画を三次元化したフォンタナの話をされました(笑)。

前回の日記に書いた「自由」の人とは別の人です。
コンセプチュアルアート好きな人にとって、この3人は
特別な存在なのでしょうか?それともただの偶然か?

私は新しい事をするのが良いとも悪いとも思いませんが、少なくとも、
自分の意思に反する事はしたくないと思っています。

文章で表現する文学は古いとか、音を使って表現する音楽は古いとか
言ったら、言葉遊びにしかならないのに、と思いましたが、
黙っておきました(笑)。

色や形を使って平面に表現する、絵画というメディアが古くて面白くないと
思うのは自由ですが、だったらそんな作家(私)の展覧会に
来なければよいのに、と思いましたが、黙っておきました(笑)。

この方に、「私は新しさより普遍性の方が大切だと思っています」と言うと、
「現代美術は普遍性など必要ない」と断言されてしまいました。

どうしてですか?と聞いてみたら、「現代美術は、今という時代を表現する
のだから、明日になったら古くなって構わない」そうです。

それなら、デュシャンもポロックもフォンタナも古いじゃん!
って思いましたが、黙っておきました(笑)。

この方は作家ではないようでした。
評論家なのか、ただの現代美術ファンなのかは分かりませんが、
色々画廊を回っているようでした。

現代美術とは、この方の意見のように、大いなる矛盾に満ちたものなのかも
知れません。
00:30:00 | tshibata | |

14 May

3月の個展について







ずっとブログを更新していませんでした。
とりあえず、3月17日〜22日に開催したみゆき画廊での個展について書きます。

会場に足を運び、ご高覧下さった皆さん、
会場にはお越し頂けなかったけど、応援してくださった皆さん、
そして今回の個展に裏方としてご協力下さった皆さん、
心より御礼申し上げます。有難うございました。

さて、今回の個展の観客数は 250人余りでした。

どんな理由があるにせよ、人が集まらないのは自分の作品の力が
まだまだ足らないからだと思います。

しかし、今回の個展は、来場者数は少なかったですが、
来て下さった方の中では概ね好評だったようです。

私個人としては、いろんな意味で勉強になったし、何より作品に関して
手応えを感じた個展だったので、満足しています。


02:11:21 | tshibata | |

13 May

もっと自由に

「もっと自由に描いたら?」と言われることがあります。
個展などを開催していると、毎回1人くらい、そういうアドバイスを
下さる方がいるのです。

そういうことをおっしゃる人によれば、私の作品は自由に描いていない
のだそうです。
そう見えるということなのでしょう。

でも、私は自分のやりたいように「自由」に描いているので、
答えようがなく困ってしまいました。

仕方なく、どんな作品が「自由な」作品なのか聞いてみたら、
デュシャンが『泉(写真左)』という作品で便器を横に置いた経緯とか、
ポロックのアクションペインティングについてとか(写真中央:制作中のポロック)、
フォンタナがキャンヴァスに切れ目を入れた話(写真右:フォンタナの作品)
などを延々とされました。
それらの作家の作品を「自由に作っているように感じる」のは、
それこそ「自由」なんですけどね…。


どうやら、この方の基準は、非具象的表現が「自由」で、具象は「不自由」、
具象の作品で形をある程度きちんと描いている場合は「非常に不自由」な
ようです。

後で思ったのですが、この人は普段から色々な画廊を廻って
いるようでしたが、具象作家の作品を見つける度に、このような
アドバイスをしているのでしょうか?

私は誰からも強制されていないし、自由に制作しているつもりです。
ただ、もっと良い作品を創りたいと思っているのに、修行が足らないため、
まだまだ思ったようには描けていないかも知れません。
そういう点では不自由な部分があると思います。
ひょっとして、この方はそれを指していたのでしょうか?

いずれにせよ、もっと修行を積んで、表現を磨いてゆくことで
応えて行きたいと思います。

…多分、違うだろうけど(笑)。
00:29:00 | tshibata | |